黒岩幸雄先生(昭和大学名誉教授 R・S・C副理事長) 講演

現在の私の公式名称は、昭和大学名誉教授です。
1931年生まれで、もうすぐ79歳になりますので、典型的な戦中派に入るのではないかなと思います。実はですね、我々の小学校や中学校時代は食べ物がなくて、高粱(コウリャン)なんかも食べておりました。戦後になりましたら、いわゆる黄変米として有名なお米ですけれど、カビが生えたお米が輸入されてきて、何も判らず食べていましたけれども、しばらくして大変な猛毒のカビ毒が入っているというので、「黄変米事件」というのがあったのは記憶にあります。実はこの食糧事情の悪い時に、我々に食料の増産を手助けしてくれた第一の恩人は何かというと、「有機リン剤」だったのですね。それは、皆さんがよく聞くホリドールであるとか、パラチオンだとかの殺虫剤だったわけです。これらの農薬は、お米を作るときになくてはならないものだったのです。お米っていうのは、割合いつ植えてもいいのですが、早く植えると開花する時期までに二百十日あって、いわゆる台風に遭遇して米が結実しないということがあります。一方台風を避けると今度は、ニカメイチュウという虫にコメが被害を受けてしまうことになります。

いずれにしても、いつ植えてもお米がちゃんとできるようにしてくれたのは、皆さんがよくご存知の「ホリドール」だったわけです。「ホリドール」というのは、「エチルパラチオン」という有機リン系の殺虫剤で、いうなれば「サリンの仲間」なんですね。じゃぁ、どうしてそういうものが出てきたかと言うと、実はナチスドイツが、神経毒となるようなものを農薬に使おうとしているグループがいると、それを一同に集めて「じゃぁ、これで化学兵器ができないか?」と言ってやり始めたのがそもそもの始まりなのです。そうして、合成されて、出来上がったのがサリンなのです。そのうちに、毒性の少ないものも数多く出来ているわけですね。そのうちの一つが我々が使っていた「ホリドール」とか、「テップ」とかになるわけです。「テップ」もまた非常に毒性があります。皆さん、あの三重県の名張で起きた「毒ブドウ酒事件」というのをご存知の方もいるかもしれません。最近再審請求等でマスコミでも報道された事件です。あの事件でもわかるように、ぶどう酒を飲んであんなに早く効いて人が死ぬくらいの毒物ですけれども、当時は実際にはそういうものが、比較的毒性が少ないとされて我々の身の回りで農薬として使われて、身近にあったというわけです。そういうことですので、じゃぁ、サリンとは何だ?ということになります。
サリンとはですね、実はドイツが兵器して作り、最終的に人を殺す、しかも、「気体にもなりうるものだ」として作ったものなのです。
ですから、持ち歩きに便利で、しかも大砲にも使えるということでドイツは持っていたんですけれども、しかし、一番初めのそれができたときの殺傷能力というのを見て、結局ドイツは第二次世界大戦の時には兵器としては使っていないはずです。その代わりドイツはV2というロケットやアセチレンから色々な化学物質を作り出すレッペ反応を用いた化学工業をおこし、戦争をしていました。今のパイロットプラントと我々が呼んでいるような設備を、ドイツは第二次世界大戦が始まる前から整備していた。
サリンは、どれくらいの値段で、どれくらいの殺傷能力があるのかっていうと、大体1万円くらい出して材料を買ってきて、きちっと合成すれば、大体10万人は殺すことが出来るくらいの殺傷能力があるものなんです。ですから、サリンが「貧乏人の原子爆弾」と呼ばれる理由がそこにあるわけです。
だから、日本人が金持ちと貧乏人の原子爆弾と称される二つの爆弾の被曝をうけた初めて浴びた国民になってしまったわけですね。

強力な殺傷能力があるっていうのは、どれくらいあるかということですが、先程「ホリドール」といいましたが、ここにサリン分子が一個あるとします。回りにホリドール分子が一万個から百万個くらいあるとします。この一個のサリンの毒性に対して、同じ毒性を示すためにはホリドールは一万個以上なんていうのはものの数ではないくらいにサリンは毒作用が強いということです。しかもこのサリンは、堀ドールに比べてはるかに気体になりやすい性質を持っている、そこにサリンの怖さがあるわけですね。

ですから、ナチスドイツが使わなかったのは、そういうことを慮ってなんじゃないかな?と、あのナチスですら使えなったと言った方がいいのかも知れませんね。私はそんな感じがします。
それをいとも簡単にオウムが使ったというのは、やっぱりキチガイ集団だとしかいいようがないと思います。ただ、いままでの農薬の話の中で、我々は恩恵を受けたところもあるわけですので、化学をはじめ学問自体は悪くはないとは思いますが、それを悪いほうに使おうと思ったら、戦争がなくならない限りサリンと同様な悲劇はまた出てくる可能性があると、我々は思わないといけないと思います。

危機管理について石松先生よりいろいろお話がありましたけれども、それに入りきれないようなものも一杯出てくると思います。サリンなんかは、要するに防護服がないと、暴露されている中に助けにも行けない、そういうものですので、そんなものが、いつどこで、撒かれるかもしれない。この世の中にある全ての毒物に対して我々が対処するのは、これは大変なことだと思いますけれども、現在はテロというものがあるとすると、それに対する可能な限りの備えはしておかなければいけないと思います。

では、解毒剤があるのかというお話になりました。「パム」と「アトロピン」があったら有機リン系の農薬による中毒からは助かる、サリンも実はそういう「パム」と「アトロピン」のセットで防御するようになっています。予め調製した「パム」と「アトロピン」をセットにして、湾岸戦争の時の米軍の兵隊がみんな持ってて、サリンなどが「使われるな」というときにこのセットを使うというt子です。しかし不幸にしてサリン、一部の有機リン系の農薬も含めますが、一度コリンエステラーゼにくっつきますと、ある時間がたつとそれがはずれない、つまり回復しないわけです。サリンなどは、そういう毒作用の性質もっているものなんです。このくっついた部分をはずしてくれるのが「パム」なのです。しかし、サリンなどに被爆してから時間がたてば、「パム」は効かなくなりますので非常に始末が悪い毒物であるといえるかと思います。このユな毒作用を一般的にエイジング、老化するというという言い方をしておりますけれど、そんな始末の悪いものがサリンであるといえます。

それから、もう一つお話しておきたいのは、サリンに被爆した人たちが本当に回復するかどうかということです。それに非常によく似た薬品で、よく使われる非常に毒性の強い薬品で、「DFP」っていうのがあります。毒作用は似ているんですけれども、この薬物は一般的にいうとエステラーゼという加水分解酵素の試験に使われるのと同等なのと、医薬品としても使われるものなんですが、緑内障に使うという話も書いてあります。非常に怖い毒物が、サリンをどうやって防御するかというようなことでも研究されていたわけですね。 サリンはなかなか使いにくいから、それよりも一段も二段も三段も、毒性が低い医薬品が使われていたのです。実際にこのDFPを研究に使ってアメリカで研究していた方が、僕がDFPをアメリカから輸入する時に、「黒岩先生、これは絶対に注意しなければいけない」と注意されました。その先生はアメリカで5年間、DFPなどを使ってエステラーゼの研究をされてこられたのですけれども、今でもこの腕がジンジンして張っているというんですね。それはいったいどうしてですかと聞きましたところ、「DFPの実験を長い間私はやっていたために、未だにその毒性による神経障害がとれない」と話され、帰国してから10年以上たった先生がいまでも症状が残っているとおっしゃっていたんです。だから、サリンの場合にも我々が知らない毒性があると思います。ですから、本当にサリン中毒後の毒性が回復していくのか、今のままで死ぬまで生かされているのか、もう一つ言えば本当にある閾値を越えて、それに接触した場合は、どうしてもその毒作用が進行性になって、結果的には命を落とすということにもなりうるかも知れないと思う。未だにそれに関しいては、はっきり答えが出ているわけではありません。今から、注意深く我々が観察しておかないといけないし、皆さんもご自身で見ておかないといけない。何かあったら直ぐに専門のお医者さんにご相談なさってください。実は、その専門のお医者さんも、普通の精神科のお医者さんに行ったっていうとまぁ、お話を聴いているとそれも必ずしも確かでは荷様なところもあるようです。やっぱり、ここにいらっしゃるような先生に一度ご相談なさったほうが、僕は一番いいんじゃないかと思います。

そして、もう一ついいたいのは、そのように治るか治らないかわからないと、いうと語弊があるわけですが、一度私はサリンを浴びたんだというと保険には入れないそうですね。これは、僕ね、福島さんがいるときに手を上げて言おうと思ったんですけれど、こんなことではやっぱりダメなんですよ。本当にサリン被爆者に給付金を与えたのと同じ様な状況を、それは、何万人もいるわけではありませんから、ぜひ、国に頼んでやっていただきたいというのが私のお願いです。

以上

リカバリー・サポート・センター 〒160-0022 東京都新宿区新宿2-1-3 サニーシティ201 新宿御苑
copuright(C)2002 Recovery Support Center All rights reserved.